はじめまして。プロフィールページまで見てくださってありがとうございます。
旅するリモートワーカーの めぐみ です。
埼玉で生まれ育ち、大学で上京。大学時代にイギリスのバースへ1年留学に行きました。
新卒では地元の英語スクールへ就職しましたが、海外へ出たい気持ちが抑えられず3年で退職。フロリダのディズニーワールドのお仕事へ。
その後も国内外の外資系テック企業でグローバルキャリアを積んできました。
今は英語やスペイン語の語学力とマーケティングの知識をかけ合わせて働いています。仕事は完全リモートで海外企業の外国人チームメイトに囲まれた環境で日々異文化を感じています。
このブログでは、私が興味のあることや好きなことを軸に、自分が以前に悩んだこと、知りたかったことを書くことで他の人に役立てばと思いながら、ワーホリや海外生活ネタ、ウェブやライフスタイルを記事にして運営しています!
※このブログではAmazonのアソシエイトとして、適格販売により収入を得ています。
【資格など】
・TOEIC920, DELE B1
・TechAcademy WEBデザイン部門優秀賞受賞(このサイトではありません)
・Google広告「検索広告」認定資格
私の人生・冒険は、海外への想いを中心に変化してきたことが多いので、「海外経験」を軸に自己紹介します。
今までの海外歴
中学時代
初めての海外はオーストラリア。1週間のホームステイで多くの刺激を受けたのと同時に、英語で上手くコミュニケーションが取れない歯痒さを感じたのを覚えています。
高校時代
夏休みに1ヶ月のロンドン語学留学へ。
同じクラスのイタリア人達がペラペラと会話していて「この人たちは英語がすごい話せるんだ!」と萎縮していたら、実はそんなにできないけど、(イタリア語を混ぜながら)たくさん発言してることに気付き、間違ってても気にしなくていいんだ!と衝撃を受けました。
大学時代
この大学の1年の夏から私の冒険が始まりました・・・
大学1年の夏休みにドイツの環境ボランティアへ
当時の私は、海外に慣れておらず、値段の高い直行便の飛行機に乗り、事前に予約していたフランクフルトのホテルからも怖くて外に出れませんでした。移動する最低限のみ外に出る程度で、街を散策することすら無理でした。
ボランティアは、ヨーロッパの子たち+日本人+韓国人の20人ほどのメンバーで、2週間の環境保全活動。
当時は英語もろくに話せず、自分も周りも恥ずかしがって最初はなかなかコミュニケーションが取れない状況でしたが、最後には全員が打ち解け、みんなで寝泊りしていたコテージでのダンスパーティや、international dinner partyなどを通じて「異文化交流の楽しさ」に目覚めました。
イタリア人が作ってくれた美味しいパスタと、パスタを茹でるために、お塩ひと瓶使い切っていた衝撃は今でも忘れられません。
大学2年の夏休みは、トルコでこどもボランティアへ

ボランティアメンバーでゲームや運動などのアクティビティを企画して実行しました。
私は合気道の初段を持っていたので、フランス人の子をサポートメンバーとする形でチームを組んで、ひたすら合気道の指導をしていました。
地元の新聞にもAikido Teacherとして一面を飾ったり、子どもたちも慕ってくれて感動したのを覚えています。
英語は一年前よりは上達した気もするけど、まだまだヨーロッパの子達とは雲泥の差。最低限の意思疎通とジェスチャーでのコミュニケーションしかできませんでした。
2週間ボランティアをした後は、1人で2週間のトルコ旅行。
ボランティアをしたトルコの東部の町ムシュは、イスタンブールと反対側のイラン、イラク寄りのエリアです。治安もあまり良くないためか銃を持った軍人さんも結構多くてドキドキしていました。
移動中の夜行バスで、私だけバスから降ろされ、銃をもった兵隊に囲まれながらスーツケースを開けさせられました。
田舎の人は英語すら全然話せない環境の中、ジェスチャーコミュニケーションを頼りに、1人で乗合いバスを乗り継ぎながらカッパドキアを経由して西のイスタンブールまで旅をしました。一年前、ドイツのホテルから出られないかった自分とは比べ物にならないくらい度胸がついてました。
大学3年の秋から1年イギリスのバースへ交換留学

勉強よりもいまだに印象深い部活動でのこと。
留学先大学では、チアリーディング部に入りました。3回ほどの選考がある入部オーディションに晴れて受かって入部するも、うまく英語でのコミュニケーションが取れく引け目を感じたり、スタンツで上から落ちてきたメンバーをキャッチできずショックを受けたり、色々なことが重なって挫折して辛くてたくさん泣きました。色々思い返すと、周りは全く意地悪を言ってきたわけでもなく優しかったのに、自分のガッツのなさが原因だったと思います。
その時は外国人向けクラスの先生に個別相談して、ネイティブが使う簡単な挨拶フレーズなどから教えてもらいました。しかし、語学に関しては完全に努力不足で1年行った割にはイマイチなレベルの英語力で帰ってきました。
旅行は当時から大好きだったので、クリスマス休暇に小さいリュックサック1つで、ヨーロッパ5カ国(フランス、オーストリア、チェコ、スロバキア、ドイツ)を1人旅しつつ、大学1、2年時のボランティアで知り合った友人達が住む町を巡り再会を果たしました。この時の友達は、10年以上経った今でもやり取りが続いています。
イースターにはミラノ&ベネチア、オランダ&ベルギー、など学生貧乏旅行して充実してました。
大学卒業後は、地元でこども英語講師を3年間。
「最低3年は一つの仕事を続けるべき」という社会的な価値観や親の意見もあり、この3年間は日本で働き続けました。
英語学校なのに外国人の先生がいなことなどにモヤモヤした気持ちを溜め込み、どうにかして海外に出る方法を調べまくりました。青年海外協力隊の説明会に行ったり、ワーホリの話を聞きにエージェントを訪れたり。すべての応募をできるほど余裕がなかったので、最終的に米国三越が行っている米フロリダディズニーのプログラムに応募することに。
面接は元々日本語でも苦手だったので事前にかなり下調べを行い、このプログラムの選考で聞かれる質問と答えをほぼ網羅し、英語面接対策もオンライン英会話で練習。
英語講師の仕事は年度末でないと辞めにくい職場環境だったので、合格通知もない半年以上前に(今だと信じられない)退職の意思を伝えていたのですが、退職する1週間ほど前のギリギリのタイミングで合格通知をもらいほっとしたのを覚えています。
その後、渡米まで半年ほどゆったりニート。以前から興味があったサルサを習いに六本木まで通うことにし、1ヶ月5万円もする定期を買ってレッスンに通っていました。
米フロリダディズニーへ

プログラム当初の辛いトレーニングや、周りの優秀な同期達と比較して劣等感を感じることもありつつも、総合的にとっっても楽しい一年でした。
無料で入れるパークを遊び尽くし、外国人の友達もグッと増え、またそこで出会った日本人の同僚も大切な宝物です。
ここで初めてアフリカや中南米出身の友達もできました。
今これを読んでて、プログラム参加に悩んでいる方がいたら、私はぜひお勧めしたいです。大変なことも色々ありますが、たくさんの出会いとチャンスがあり、一生物の体験ができると思います。
プログラム終了前に、まだまだ海外にいたいと思い、再度海外で働く方法を調べる日々。
たまたま姉が見つけてきた、ペルーにある日系人が運営するホテルの求人に応募、アメリカから面接を受けて見事合格。アメリカからそのままペルーへ南下するつもりでしたが、ホテルのリニューアルオープンが遅れに遅れ、当初より半年以上遅れたので、一旦日本に帰ることに。
日本への帰国前には、ディズニープログラムで知り合ったフランス人の友達とラスベガス〜グランドキャニオン〜サンフランシスコなど2週間のロードトリップへ。何もないまっさらな荒野でガソリンが切れそう&モーテルが見つからない恐怖とストレスでプチ喧嘩もしましたが、最後には仲良く旅を終えました。
この友人は数年後に日本に来て、一緒に日光や東京観光巡りもしました。お互いに、海外に住みたい気持ちが強く、国籍は違っても似たもの同士って仲良くなるんだなと思いました。

ペルーに行く前に日本での3ヶ月は、単純な入力作業やバレンタイン期間の販売員などの単発のアルバイトをして資金を貯めることに。
次なる冒険、南米ペルーへ

ペルーでの経験は思い入れが深く、人生のターニングポイントになりました。
最初に、日本から首都リマへ飛び、ホテルの経営者の1人の家へ行き、人生初のSNS運用のトレーニングとユニフォームの採寸など行いました。
その後ホテルがある現場のクスコ県のウルバンバへ。
なんと私を面接した日系人のおじさんはすでに退職していて、現地の上司はなぜかデンマーク人。
今までにホテルでの就労経験がないこと、スペイン語力0、英語もイマイチ・・・と評価され、「なぜ君が雇われたのか、ここにいるのか理解できない」と言われて大変ショックでした。
また、ホテルはリニューアル直後で瓦礫の山みたいな部屋もある中で一部の部屋で運営がスタートしたばかりのため、お客もろくにいないため仕事がなく、泣き寝入りして数ヶ月でここでの仕事は終了しました。
仕事がなかったので、最後には現地のペルー人スタッフと一緒に、客室のデコレーションを貼ったりしてました笑
ただ初めて私が、twitter, FacebookなどのSNS特性の違いを学び、WordPressを知ったのがここだったのです。今振り返っても不思議です。
さて、仕事なし家なしのヤバい状況になりました。
しかし幸運にも、この数ヶ月で知り合った、親切で頼りになる1歳年下の友達の家(当時すでに4歳の子供がいた)で1ヶ月居候させてもらえることに。せっかく地球の反対側まで来たのに何も得ずには帰りたくない、との想いで仕事探し。その村のホテルのピンポンを押して仕事がないか聞いて回ってました。
最終的に、最初の勤務先で居候をしていた町のウルバンバを出て、クスコにある日本語学校で数ヶ月日本語講師をさせてもらうことになります。ここで日本語を教えながらそのスペイン語のフレーズを学びながら勉強&自分自身もスペイン語学校に通いながら、根をつめて一気に基本の日常会話レベルまで伸ばしました。
夜はクスコの広場にある無料のサルサクラスにいき、ここでたくさんのペルー人とフリータイムでサルサを踊り、一気に上達しました。
半年ほど経ったころ、このままじゃ人生まずいなと不安を感じ、帰国を決めました。
最後の1ヶ月は、ディズニー時代に知り合った友人を訪れて、アレキパ、チチカカ湖、コパカバーナなど旅行。
ある意味無念の帰国です。
最初に住んだウルバンバは、クスコに引っ越した後もよく遊びに戻っていて(片道1時間半で4ソルほど)、今の時代に川で洗濯をしている人もいるくらい、のどかな田舎町で今でも大好きな第二の故郷です。
とっても大好きな村なのでまたいつか絶対に戻りたい。→ 2023年にノマドで戻ることができました。
仕事について考える大きなきっかけに
最初ペルーでホテルの職を失ったときに、
周りの人たちに「What did you study?」「What you can do?」と聞かれ、何にも答えられませんでした。
英語講師も3年だし(今考えれば十分ですが)、その後のアメリカでの接客業も1年だし、大学の勉強もコミュニケーション学とふんわりしてるし、自分の専門と言える物が何も無い!!と絶望&焦りを感じてました。
帰国後は日本で何か学んで経験してからまた海外に挑戦しよう!と思い、色々探している中でご縁に恵まれ、WEBの世界へ。
WEB制作の仕事を1年
最初の1年は派遣で社内WEB制作・HP運用の仕事を。ここでHTML、CSS、Photoshopなどデザインとコーディングを学んで実践を積みました。ただ制作会社じゃないので、技術面でも天井がすぐに見えてしまったのと、英語0の環境に「今度は英語を忘れそうだ」と危機を感じました。
この時に毎日夜3時間TOEICの勉強をして、920点を取りました。
この派遣での仕事は、元々産休の人の穴埋めで一年の予定だったのですが、有難いことにその後も残って欲しいと言ってもらいました。悩みましたが、英語を使えてかつWEBも続けられそうな仕事を探して転職活動しました。
内定を頂いたのが、①バリバリ制作ができる日本の会社でのエンジニア職(英語なし)と、②外資系の広告代理店(ただし制作職は実力不足のためプロジェクトマネージャーのポジション)の2つ。
どちらも面接の雰囲気が良く、入社したい!と思えたのですが、悩んで外資の代理店を選びました。
この時の就活で悟ったことは、面接の雰囲気がWelcomeじゃない会社は無理だな・・と思いました。
東京の外資系代理店時代
この会社は世界的には大きい広告代理店グループだったのですが、日本オフィスは社員数が30人ほどと小規模だったので、コーディングやバナー、メルマガ企画から作成・MAツールでの配信、サイト構成、UX周り、Webマスター、アナリティクス などなどプロジェクト単位で幅広く経験しました。
特に、UIUXに興味があって、ウェブや本で勉強したり、都内のセミナーやミートアップにもよく参加してました。
プロジェクトマネージャーという割と何でも屋に近いポジションだったため、やっぱり専門と言える技術が欲しいと思い、テックアカデミーを受講し、最後のコンテストではWEBデザイン部門で優秀賞もいただきました。
このタイミングでWeb制作の転職をすることもできたのですが、転職数が増えてしまうことと、次のステップのことを考えて2年ほど代理店での仕事を続けることに。
この代理店では、オフィス英語、色々なITツールの使い方、テキトーでざっくりしてる(と日本人には感じられる)外国人メンバーとの働き方などを苦戦しながら学びました。初めてMacパソコンを使ったのもこの時です。
周りが学歴も仕事でも優秀な人ばっかりだったのでここでも劣等感を感じつつ、ただ人柄が良い人ばかりの会社だったのが救いで、たまにある0時超えの深夜残業も精神的には辛くなく過ごしました。
私が内定もらったときに社長に言われた言葉がいまだに忘れられないのですが、「You survived in Peru!」でした。英語とWebもまぁ経験あるし、何よりペルーで生き延びてきてタフそうという感じで採用されました笑
海外で働くことも諦めてなかったので、1年過ぎた頃から時々LinkedInをチェックしたりと情報収集を始めていました。
気になった求人に応募して面接まで進んだ会社もいくつかあったのですが、ビザの問題で日本からの就職は相当難しいと悟りました。
就労ビザが無理ならワーホリ。そしてワーホリに挑戦できるのも年齢的にあと少し・・31才になる前にビザ申請を目指して動き始めます。
スペインワーホリが始めるとの噂が
年齢的に行けるうちにスペインワーホリが始まればスペイン、始まらなければドイツ、と決めていました。
無事にタイムリミットまでにスペインワーホリが始まったので申請をし、渡航前に就活をスタート。
2018年秋から調べ始めて、応募や面接を開始。ワーホリ目指す前の2017年の秋にしていた海外就活の面接がかなり良い練習になっていました。
しかも、2017年に面接をしていてビザの問題で諦めたバルセロナの会社から再び声がかかり、再度面接とテストを受けて内定をゲット!今回はワーホリビザで渡航することが決まってたので進めました。日本人の方とも選考の中で話したのですが、ビザサポートはないポジションです。職種は、企業のIT部署の人が顧客となる、テクニカル系のカスタマーサポートです。
2019年の春、航空券も買って渡航の数週間前となったタイミングで、マドリードのスタートアップのマーケティングポジションでも内定をもらいました。ペルーで身につけたスペイン語、代理店での経験など、今までの経験が全て繋がっての内定でした。
給与はどちらの仕事も同じくらい。しかしHello Talkのアプリで知り合って相談をしていたスペイン人から「スペインのカスタマーサポート職の職場環境はひどいからマドリードの仕事のほうがいいと思う」というアドバイスも受けてマーケティング職を選ぶことに。
ワーホリの一年については、仕事も観光も祭りもご飯もダンスも・・書きたいネタは本当にたくさんあるのでここでは割愛しますが、祭りなどイベント事が好きなので、日本のTVで見るような有名な祭りは週末を利用して色々と行きました。
そして帰国
2020年、日本へ帰国したタイミングはちょうどコロナが世界的にひどい状況になってすぐの3月。
ビザは4月後半までありましたが家族の心配と、マドリードがロックダウンしたこともあり少し早めました。成田空港でPCR検査が義務になったタイミングだったので帰国して検査を受け、陰性でした。
ワーホリで働いていたマドリードの会社とはリモートで継続して働くことに。本当は会社にビザをサポートしてもらう話もして手続きを途中まで進めていたのですが、小さいスタートアップのため結局叶わずでした。
仕事以外では、帰国してから地元で異文化交流会を主催してみたり、動画配信を始めたり、次のステップへの先行投資をして勉強を始めていました。
そしてLinkedIn経由でご縁があり、2020年11月からオーストラリアの会社でも働き始めることになりました。昼は英語、夕方からはスペイン語で仕事をするダブルワークだったので、最初は脳みそがかなり疲れましたが、徐々に慣れました。
語学的な意味で脳は慣れたのですが、週での稼働時間が多いのと、どちらもフルタイムの気持ちで望まないといけないポジションだったため、その頭の切り替えも大変で疲労困憊に。
2021年6月にオーストラリアの会社一本になりました。
完全リモートの仕事だったため、仕事を始めて2年目になったあたりで、上司に相談して海外から働かせてもらうことに。ここからノマド生活のスタートです。
最初はブラジルで3ヶ月、そのインドネシアに1ヶ月。ヨーロッパや南米によく行き、気づいたら2年半ほどで世界に執していました。ノマド生活の様子はnoteで書いています。
2024年に再度ヨーロッパ移住を目指し、世界を旅したり、ビザのことを調べたりして、最終的にスペインをまた選びました。同年秋にデジタルノマドビザの取得に成功し、現在はバルセロナ在住です。
常に変化のある人生を送っていますが、ペルーで挫折し、スペインワーホリでも移住叶わずと何度も悔しい思いをしながら、長年かけてやっと大きな夢を叶えることができました。
現在は、ロンドンの広告代理店にフリーランスメンバーとして所属しながら、グローバルクライアントのマーケティング支援をしています。さらに前職の同僚とRemotecというブログメディアとオンラインアカデミーを立ち上げ、海外企業との仕事獲得のサポートを始めたりと、新たな挑戦を続けています。
好きなもの
旅行とダンスと美味しいものが大好きです。スキューバダイビングにも魅了され、エジプトのダハブでライセンスを取得しました。たまに絵を描いたり編み物したり、と多趣味な方だと思います。
旅行
行った国は50ヵ国以上。アジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパ、アフリカ、オーストラリアなど。まだまだ行きたいところはあります!
これから行きたい&やりたいのは、
- カナダかフィンランドでオーロラを見る!
- ガラパゴスで動物を見る!カメ!
- アフリカのケニアやタンザニア、南アフリカ共和国、ナミビアのデッドフレイ・・できたらぐるっとアフリカ大陸めぐりたい。
- ネパール
などなど
食べること
日本食、スペイン料理、ペルー料理が個人的トップ3です。
以前よりはグルメを求めることも増えましたが、基本的になんでも食べれるので、ペルーの山岳地帯ではモルモットの「クイ」料理も10回以上は食べました。
以前、鎌倉で星占いをしてもらった時に、「食いしん坊の星が3つもあるから、すごい食いしん坊だ」と言われ、食べ物に関する仕事まで勧められたくらいです。
ダンス
ジャズファンク、ジャズ、サルサ、フラメンコ、チアリーディング、サンバ、ベリーダンスなど色々なダンスを踊ってきて、ダンス経験は10年以上です。一番長く踊っていたのはジャズファンクです。
東京に住んでいた時は、ミュージカルでも活躍中のダンサーのICHI先生のナンバーや、今はメディアでも活躍中のIG先生のナンバーに出たりしていました。
2021年の夏にはラテンフィットネスのリトモスの全国大会で優勝してなんと日本一になりました。
新しい国を訪れる時には、現地のダンスを習うことで、現地の文化に触れる旅を目指しています。