めぐぽんのプロフィール

はじめまして、めぐぽんです。

今は埼玉からリモートでスペイン企業とオーストラリア企業の仕事をしながら、このブログを書いてます。

ワーホリ、海外生活、ウェブ周りを中心に記事を書いています!

これまでの経歴

中学時代

初めての海外はオーストラリア。1週間のホームステイで刺激を受けまくったのと同時に英語でコミュニケーションが取れなすぎて楽しくも歯痒い気持ちだったのを覚えています。

高校時代

夏休みに1ヶ月のロンドン語学留学へ。
クラスのイタリア人達が英語めっちゃできると思ったら、実はそんなにできないけど、堂々と(イタリア語も混ざりながら)発言しまくってることに気付き、間違ってても気にしなくていいんだ!と衝撃を受けました。

大学時代

ここから私の冒険が始まりました。

1年の夏にドイツで環境のボランティアへ

まだまだ海外に慣れておらず、値段の高い直行便の飛行機に乗り、事前に予約したフランクフルトのホテルからは怖くて移動以外では外に出れませんでした。

2週間ほど、ヨーロッパ人+日本人+韓国人の20人ほどのメンバーで環境保全活動。
自分の英語もまだまだで、自分も周りもシャイでしたが、最後には仲良くなって共同で寝泊りしていたコテージでのダンスパーティや、international dinner partyなど楽しくて「異文化交流の楽しさ」に目覚めました。

2年の夏はトルコでこどものためのボランティアへ

turkey

ボランティアメンバーでゲームや運動などのアクティビティを企画して実行。

私は合気道初段を持っていたので、ひたすら合気道の指導をフランス人の子のサポートを受けながらしていました。
地元の新聞にもAikido Teacherとして載ったり、子どもたちも慕ってくれて感動したのを覚えています。
英語は一年前よりは上達した気もするけど、まだまだヨーロッパの子達とは雲泥の差。最低限の意思疎通とジェスチャーしかできなかった気がする。。

2週間ボランティアをした後は、1人で2週間旅行。
ボランティアをしたトルコの東部の町ムシュは、イラン、イラク寄りで銃を持った軍人さんも結構多い。地元民は英語すら全然話せない環境の中、ボランティア後に1人で乗合いバスを乗り継ぎながらカッパドキアを経由して西のイスタンブールまで旅をしました。一年前、ドイツのホテルから出られないかった自分とは比べ物にならないくらい度胸がついてました。

3年の秋から一年イギリスのバースへ交換留学

uk bath

留学先大学では、チアリーディング部の入部オーディション(3回くらいオーディションに行った記憶)に受かって入るも、うまくコミュニケーションが取れなかったり、上から落ちてきたメンバーをキャッチできずショックを受け、色々重なって挫折して辛くてめっちゃ泣きました。色々思い返すと、周りは優しかったのに、自分のガッツのなさですね。

その時の担任の先生に相談して、ネイティブが使う簡単な挨拶フレーズなどから教えてもらいました。
でもやっぱり努力不足で1年行った割にはイマイチなレベルの英語力で帰ってきました・・・。

旅行だけは大好きだったので、クリスマスには1人でヨーロッパ5カ国を周り、1,2年時のボランティアで知り合った友達をリュックサック一つでめぐりながら旅しました。
イースターにはミラノ&ベネチア、オランダ&ベルギーなどなど貧乏旅行ながら充実してました。

大学卒業後は、三年間地元埼玉でこども英語講師を3年間。

最低3年は続けるべき、という社会風刺と親の意見もあって3年日本で我慢しましたw
英語学校なのに外国人の先生がいなくて、モヤモヤを溜め込み、海外に出る方法を調べまくる。青年海外協力隊の説明会に行ったり、ワーホリの話を聞きにエージェントを訪れたりして、最終的に米国三越が行っている米フロリダディズニーのプログラムに応募することに。
面接とか元々苦手だったので調べまくって事前に質問と答えをほぼ網羅し、英語面接対策もオンライン英会話で練習。
職場に退職の意思を伝え、退職する1週間くらい前ギリギリに合格通知をもらいました。

その後半年ほどゆったりニート。前から興味があったサルサを習いに六本木まで高い定期を買って通ってました。

米フロリダディズニーへ

disney

最初の辛いトレーニングや、周りと比較して劣等感を感じることもありつつも、総合的にとっっても楽しい一年でした。
無料で入れるパークでは遊びまくり、外国人の友達もグッと増え、そこで出会った日本人の同僚も大切な宝物です。今でも連絡を取る友達がかなり多いです。
ここで初めてアフリカや中南米の友達もできました。

プログラム終了前に、まだまだ海外にいたいなと思い、再度海外で働く方法を調べる日々。
たまたま姉が見つけてきた、ペルーの日系人運営のホテルの求人を見つけ応募、アメリカから面接して合格。
ただホテルのリニューアルオープンが遅れに遅れ、予定より半年以上遅れたので、一旦日本に帰ることに。

日本への帰国前には、フランス人の友達とラスベガス〜グランドキャニオン〜サンフランシスコなど2週間ほどロードトリップ。荒野でガソリンが切れそう&モーテルが見つからない恐怖とストレスでプチ喧嘩もしつつも、最後には仲良く旅を終えました。この子は数年後に日本に来て、一緒に日光や東京観光巡りもしました。

帰国してた3ヶ月の間は、単発で単純入力作業のバイトやバレンタイン期間の販売員などのバイトをして少しだけ資金を貯めることに。

次なる冒険、南米ペルーへ

peru

まずはリマでホテルの共同経営者の1人のうちへ行き、SNS運用のトレーニングとユニフォームの採寸など行いました。
その後現場のクスコ、ウルバンバへ。私を面接した日系人のおじさんはすでに退職していてなんと上司はデンマーク人。
ホテル経験のなさ、スペイン語0の私、英語もイマイチ・・・はい、この人と合わず、またリニューアル直後で瓦礫の山みたいな部屋もある中で一部で運用スタートしたばかりのホテルは、お客もろくにいなくて仕事がなく、泣き寝入りして数ヶ月でここでの仕事は終了しましたT_T 最後には部屋のデコレーションを現地のペルースタッフと一緒に貼ったりしてました笑
ただ初めて私が、twitter, FacebookなどのSNS特性の違いを学び、WordPressを知ったのがここだったのでこれはすごく大きい。

そのあとは最初の数ヶ月でできた、親切で頼りになる一つ年下の友達の家(しかし当時すでに4歳くらいの子供がいた)で1ヶ月居候しながら仕事探し。ホテルのピンポンを押して仕事がないか聞いて回ってた。。最終的に、クスコの街中の日本語学校で数ヶ月日本語講師をさせてもらい、ここで日本語を教えながらそのスペイン語のフレーズを学びながら勉強&自分自身もスペイン語学校に通いながら、根をつめて一気に基本の日常会話のレベルまで。
夜は無料のサルサクラスにいき、ここでたくさんのペルー人とフリータイムでサルサを踊り一気にそれっぽく踊れるようになりましたw

半年ほど経ったころ、このままじゃキャリア的にどうかなと不安を感じて帰国を決めました。
ディズニー時代の友達を訪れて、アレキパ、チチカカ湖、コパカバーナなど1ヶ月弱旅行をしてある意味無念の帰国。

最初に住んだウルバンバは、クスコにいるときにもよく戻っていて(片道1時間半の4ソルほど)、今の時代に川で洗濯をしているようなのどかな町で今でも大好きな第二の故郷です。
とっても大好きな村なのでまた3ヶ月とか単位で戻りたい。

仕事について考える大きなきっかけ

最初のホテルの職を失ったときに
「What did you study?」「What you can do?」と周りに聞かれ、何にも答えられなかったんです。

英語講師も3年だし(今考えれば十分ですが)、その後アメリカも接客業1年だし、大学の勉強もコミュニケーション学とふんわりしてる上にそんなに頑張らなかったし、自分の専門と言える物が何も無い!!と絶望&焦りを感じてました。

帰国後は日本で何か学んで経験してからまた海外に挑戦しよう!と思い色々探し、ご縁もありWEBの道に。

WEB制作を1年

最初の1年は派遣で社内WEB制作・運用の仕事を。ここでHTML、CSS、Photoshopなどデザインとコーディングを学んで実践を積みました。ただ制作会社じゃないので、天井がすぐに見えてしまったのと、英語が0の環境に今度は英語を忘れそうだと危機を感じる。
このときにTOEICを勉強して920点を取りました。

元々産休の人の穴埋めで一年の予定だったので、その後も残って欲しいと言ってもらえましたが、英語を使えそうかつWEBもできそうな仕事を探して転職。

内定を頂いたのが、バリバリ制作ができる日本の会社(英語なし)と、外資系の広告代理店(ただし制作職は実力不足のためプロマネのポジション)の2つ。
どちらも人柄がいいし、入社したいと思えたのですが悩んで外資の代理店を選びました。

ここの就活で悟ったことは、面接の雰囲気でWelcomeじゃない会社は無理だな・・と思いました。

東京の外資系代理店時代

代理店と言っても日本は社員数が少なかったので、コーディングやバナー作成から、サイト構成、UX周り、Webマスター、アナリティクス などなどプロジェクト単位で幅広くこなしました。
UIUXに興味を持ってウェブや本で勉強したり、都内のセミナーやミートアップにも参加もしてました。

また、やっぱり専門と言える技術が欲しくて、テックアカデミーで勉強してコンテストのWEBデザイン部門で優秀賞もいただきました。
このタイミングで制作の転職をすることもできたのですが、転職数が増えることを懸念して2年ほど代理店での仕事を続けることに。

ここでは、オフィス英語、色々なITツールの使い方、テキトーで荒い(と日本人には思える)外国人チームとの働き方などを苦戦しながら学びました。あとMacパソコンの使い方も。

周りが優秀な人ばっかりだったのでここでも劣等感を感じながらも、人柄が良い人ばかりの会社だったのでたまにある深夜残業もそこまで精神的には辛くなく過ごしました。
私が内定もらったときに社長に言われた言葉が「You survived in Peru!」。英語とWEBもまぁ経験あるし、何よりペルーでやってきてタフそうという感じで採用されたのでw

海外の仕事も諦めてなかったので、1年過ぎた頃から時々LinkedInを眺め始めたり。

ワーホリに挑戦できるのも年齢的にあと少し・・海外行くならワーホリ使ったほうがよさそう。
31才になる前にビザ申請を目指して動き始めます。

スペインワーホリが始めるとの噂が

私の年齢がOKなうちにスペインワーホリが始まればスペイン、始まらなければドイツ、と決めていました。

無事にスペインワーホリが始まったので申請&事前就活。
実はワーホリ目指す前の2017年秋にも普通の海外就活も挑戦していて、その時には日本からじゃ全然無理だ〜と諦めました。面接はいくつかしていたのでそこでかなり練習にはなりました。

一年後の2018年秋から調べ始めて、応募や面接をスタート。
冬に、一年前に面接をしていたバルセロナの会社と再度面接をして内定をゲット。今回は渡航することが決まってたので選考に進めました。ビザサポートはないポジションです。職種は、企業のIT部署の人が顧客となる、テクニカル系のカスタマーサポートです。
2019年の春、飛行機も買って渡航の数週間前となったタイミングで、マドリードのスタートアップのマーケティングポジションも内定をもらいました。ペルーで伸ばしたスペイン語、代理店での経験など、今までの経験が重なり合っての内定でした。

給与はどちらの仕事もどっこいどっこい。でもHello Talkのアプリで知り合ったスペイン人に、スペインのカスタマーサポート職の職場環境はひどいからマドリードの仕事のほうがいいと思う、というアドバイスもありそちらに。

ワーホリの一年については、仕事も観光も祭りもご飯もダンスも・・書きたいネタは本当にたくさんあるのでここでは割愛。

そして現在

ワーホリ時代に働いていたマドリードの会社と今でもリモートで働いてます。
ただ帰国のタイミングでフルタイムの正社員からパートタイムに変更。

日本へ帰国したタイミングはちょうどコロナがひどくなってすぐの3月。ビザは4月後半までありましたが家族の心配と、マドリードがロックダウンしたこともあり少し早めました。成田空港でPCR検査が義務になったタイミングだったので帰国して検査を受けました。陰性でした。

帰国してからは地元でゆったり過ごしつつも、異文化交流会を開催してみたり、共同で動画配信を始めたり、次のステップへの先行投資をして勉強を始めたりしています。

そしてLinkedIn経由でご縁があり、2020年11月からオーストラリアの会社でも働き始めることになりました。昼はALL English、夕方からはALL Spanishなので最初は脳みそがかなり疲れましたが、慣れました。

今のスタイルであればコロナさえ終われば完全にノマドができるので、実家のモノの整理、PCなど環境整備、ブログ副業など進めてます。
ただミーティングがある日は時差が結構厳しそうなのでうまく調整しないとです。

1年とか2年とかノマドをした後は、いずれはどこか自然の綺麗なところに定住して過ごしたいと思っていますが、まだこれから気持ちは変わりそうです。

気が合いそうだなと思った方、ぜひTwitterとかで絡んでください。
海外のこと、仕事のことなど質問も歓迎です。

好きなもの

追々追記でもう少し書いていきます。

旅行

行った国は40ヵ国以上。アジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパ、アフリカ、オーストラリアなど。

これから行きたい&やりたいのは、

  • カナダかフィンランドでオーロラを見る!
  • ガラパゴスで動物を見る!カメ!
  • パタゴニアの自然
  • アフリカのケニアやタンザニア、南アフリカ共和国、ナミビアのデッドフレイ・・できたらぐるっとアフリカ大陸めぐりたい。
  • インドのタージマハール
  • 南米をぐるっとめぐる
  • ハンガリー
  • モロッコ

などなど

異文化交流

東京、マドリードで参加し、自身でも運営中。

食べること

日本食もスペイン料理もアジアンもハンバーガーも好き笑

ペルーではクイも食べましたよw でも好きではないかな。

ダンス

ヒップホップ、Jazz Funk、ジャズ、サルサ、フラメンコ、チアリーディングなどなど年単位で習いましたが、一番ガッツリやったのはジャズファンク。